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1965年
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1966年
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1967年
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1968年
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1969年
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1970年
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1972年
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1973年
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1975年
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1976年
1965年 |
4月18日日ソ親善協会設立総会(場所:東京・都市センター) ソ連から科学アカデミー哲学研究所長コンスタンチンチーノフ博士、モスクワ大学クーキン教授、ソ日協会事務局次長ウグリーノヴィッチ氏出席 理事長に松本七郎、事務局長に井上唯雄を選任 親善バッジ制定(デザイン:本郷 新) |
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5月30日全国にさきがけ松本支部発足 | |
6月15日機関紙「日ソ親善」発刊(タイトルデザイン:浅倉 摂)発行人安井田鶴子 | |
7月25日岡山支部発足、全国で2番目 | |
8月7日板橋支部発足 | |
10月11日長野支部設立総会 | |
11月7日宇宙飛行士ニコラエフ・テレシコワ夫妻を迎えて、革命48周年・日ソ共同宣言9周年祝賀会(場所:赤坂プリンスホテル) 北九州支部設立総会 |
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11月11日協会旗制定(デザイン:丸木 俊、本郷 新) | |
11月21日高崎、伊勢崎、太田3支部合同発足総会 |
1966年 | 1月27日新潟三条支部結成 |
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2月2日「1996年度日ソ親善協会、ソ連対外友好文化連絡団体連合会、ソ日協会との間の文化協力計画」調印 | |
2月10日~3月15日日ソ親善協会推薦友好大学学生募集 | |
3月18日国会支部発足、18番目の支部 | |
3月27日第2回定期総会(場所:グランドホテル) | |
4月9日米子・境港中心に鳥取県西部支部発足 | |
6月15日新潟見付支部発足 | |
7月20日青森支部発足、大船渡支部発足 | |
7月30日川崎支部発足 | |
8月2日ソ日協会片山やす副会長、原水禁世界大会出席のため来日 | |
8月15日ロシア語教師ゼミナール派遣開始(~1989年) | |
9月1日ルムンバ名称・民族友好大学へ学生派遣(1969年以降廃止) | |
9月9日日ソ親善協会文化使節辻原弘市団長ほか2名訪ソ | |
10月13日東京駒込支部発足 | |
10月11日協会支部使節訪ソ、牧田実夫団長(鳥取中部)ら5名 | |
11月3日川口支部結成総会 会長に大野元美川口市長 ソ日協会からルジャーノフ親善使節ら |
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11月5日富山支部発足 | |
11月9日東京目黒支部発足 |
1967年 |
4月19日第3回定期総会(場所:東京・都市センター) 規約改正で会長職を設ける。副会長に赤城宗徳、松本七郎理事長に稲村隆一、事務局長に井上唯雄を選任 |
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4月28日東京(羽田)~モスクワ直通定期航空路開設 協会本部親善使節団出発、メーデー参加 |
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7月20日日ソ協会編「ソ連旅行手帳」作成 | |
7月29日山梨県支部設立総会 | |
9月22日協会文化使節水野亮、高橋和巳訪ソ | |
10月6日ソ日協会第3回総会、松本七郎副会長出席 | |
11月8日10月革命50周年記念集会(場所:ホテルニューオータニ) 参加者:800名 第1回支部連絡会議開く | |
11月9日世田谷支部発足 | |
11月15日機関紙第30号「戦前の日ソ文化交流」連載はじまる |
1968年 | 4月14日第4回定期総会 副会長5名追加 |
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6月5日協会、ソ日協会創立10周年を祝う、学士会館で | |
8月28日児童文化訪ソ団(飯沢 匡、武井武雄代表)出発 | |
11月15日ソ連建国51周年記念、訪日ソ連親善使節歓迎レセプション |
1969年 |
4月20日第5回定期総会(場所:東京・グランドホテル) 初代会長に赤城宗徳を選任 |
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5月10日日ソ児童文化会議、千田是也協会副会長あいさつ | |
7月1日戸田村プチャーチン記念資料館開館 | |
9月15日赤城宗徳会長ほか本部使節訪ソ | |
11月10日協会主催ソ連建国52周年祝賀パーティ、ニューオータニで |
1970年 | 1月31日「現代ソビエト生活写真展」(場所:東京日本青年館) |
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3月21日第6回定期総会 ネステロフ・ソ日協会会長、木原実社会党代表、矢追秀彦公明党代表、和田耕作民社党代表、千田是也文化人代表ら来賓あいさつ(場所:東京日本青年館) |
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4月30日メーデー参観訪ソ団 | |
8月25日第1次ソ連保育事情視察団派遣、バイカル青年キャンプ団出発 この頃から協会への内部干渉強まる (1963年8月5日に部分核実験停止条約採択、1964年5月25日に日本国国会で批准承認。このときの対応をめぐる混乱が日ソ友好運動に影響を及ぼした) |
1971年 |
5月9日第7回定期総会(場所:赤坂プリンスホテル) 内部干渉に抗議し稲村隆一理事長辞任、松本七郎副理事長が理事長兼任 |
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10月22日第6回常任理事会 外部からの干渉のため井上唯雄事務局長辞任。事務局長に大和与一を選任 (協会存続か、解散かの議論白熱) |
1972年 | 4月15日機関紙第82号「役員一覧表」掲載 |
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5月7日第8回定期総会(場所:赤坂プリンスホテル) 新役員に、会長赤城宗徳、理事長羽生三七、事務局長大和与一を選任 |
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10月15日機関紙「日ソ親善」に<戦後日ソ関係年表>掲載 | |
10月19日日ソ交流協会と共催で「日ソ親善国民集会」全電通ホール | |
10月22日臨時総会(場所:東京・全共連ビル) 協会の存続をめぐる原則を論議、国民誰でも参加できる組織づくりを確認 |
1973年 | 6月15日新潟-ハバロフスク定期航空路開設 |
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11月11日第8回常任理事会 事務局長に渡辺三樹男を選任 |
1974年 | 5月27日ロシア語研究集会開催(場所:東京・主婦会館) |
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6月15日機関紙「日ソ親善」に<シベリアと私>連載(18回) 長野県連訪ソ団派遣(以後、毎年1988年第16次まで238名) |
1975年 |
1月20日日ソ国交樹立50周年記念集会(場所:東京・参議院議員会館) ソ連側ツェホニア臨時大使出席 |
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2月22日第11回定期総会(場所:東京・レストラン・ロゴスキー) 理事長に横山利秋を選任 |
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8月15日協会設立10周年記念第1次「日ソ親善の船」派遣 参加233名 団長:横山利秋 |
1976年 | 1月29日渡辺三樹男事務局長逝去、横山利秋理事長が事務局長兼任 |
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3月6日第12回定期総会(場所:東京・霞ヶ関ビル) 事務局次長制採用、横須賀寿子 |
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7月30日第2次「日ソ親善の船」派遣 287名 団長:瀬谷英行参議院議員 |
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9月15日機関紙に「ロシアの玩具」掲載(27回) | |
10月20日第9回常任理事会 事務局長に瀬谷英行を選任 |
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10月30日協会主催「日ソ保育シンポジウム」(場所:東京、大阪) |